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稲嶺ススム後援会から礼状届く

2014年01月30日

Posted by kyutono9 at 23:38 │Comments( 0 ) 平和の文化

稲嶺ススム後援会から礼状届く

稲嶺ススムさんを応援する本土の会」呼びかけ世話人代表 杉浦公昭

 「辺野古の海にも陸にも基地は作らせない」と公約した稲嶺ススム名護市長候補への応援とカンパ真に有難う御座いました。心から感謝いたします。私たちが応援した稲嶺ススムさんが、19,839票を得て相手候補と4,155票差で当選を勝ち取りました。

昨日、稲嶺ススム後援会から礼状と領収書が届きましたので、その写しを添付してお届け致します。

税額控除の件ですが、稲嶺ススム後援会事務所から法律で政令都市以外は税額控除できないことになっているので、皆さんに宜しくお伝え下さいとのことでした。なお、領収書をカンパされました個々人に切ると大変な作業に成りますので、代表の方宛にまとめて切らせて頂いたとのことでした。なにとぞご理解とご了承をお願い致します。

本日は瀬長亀次郎と民衆資料館館・「不屈館」館長の内村千尋さん(瀬長亀次郎の次女)の1月29日付琉球新報掲載の随筆を「沖縄日記」さんの紹介により引用させて頂きますので、時間のある方はお読み下されば幸いです。

以下随筆内容

名護市民の今回の選択は、政府のあからさまな金をちらつかせた利益誘導にも屈せず誇りある決断をしたことに、心から敬意を表したい。
 それに引き換え、昨年11月26日付1面の写真、石破茂幹事長の後方でうなだれている沖縄選出の自民党国会議員たち、あまりに惨めで、恥ずかしく、正視できない写真だった。県民との公約を裏切った姿を県民は決して忘れないだろう。
宣誓拒否の写真
 その日以来、「不屈館」の1枚の写真が注目を集めている。1952年4月1日、琉球大学本館で行われた琉球政府創立式典での、米軍への宣誓拒否の写真である。居並ぶ米軍高官の前で立法院議員(現在の県議)が起立して米軍への忠誠を誓う式典で、ただ1人最後尾に鳥打ち帽をかぶったまま座っているのは瀬長亀次郎だった。
 亀次郎は、ハーグ陸戦条約の「占領地の住民に忠誠を強制してはならない」という国際法を根拠にして座っていた。県民に選ばれた議員であり、県民には忠誠を誓うが、米軍に忠誠を誓う必要はないと堂々と座っていた。その場にいた人は「こんなに勇気のある人がいるのかと鳥肌が立った」「亀次郎さん殺されないだろうか」と心配したという。
 その時以来、亀次郎にはすさまじい弾圧が降りかかった。翌53年4月3日、米軍は布令109号「土地収用令」を出し、軍事基地拡張の新たな土地接収が通告された。農民は激しく抵抗し、その闘いを支援していた人民党や亀次郎に弾圧が降りかかった。島外退去命令が出ていた奄美大島出身の人民党員をかくまうことに関わったという罪で逮捕され、弁護士もつけず、軍事法廷で2カ年の刑が言い渡された。その逮捕は不当であると、集会の準備をしていた人も次々逮捕され、40人余の人民党員、支持者が逮捕された「人民党弾圧事件」である。
 亀次郎は刑期を終えて出獄し、それから8カ月後に行われた那覇市長選挙に立候補した。米軍はさまざまな妨害をした。亀次郎の体が蛇になった漫画など数種類のビラをヘリコプターでばらまいた。それでも市民は屈することなく、亀次郎を那覇市長に当選させた。
 米軍は就任前から弾圧をふりかざした。米軍からの補助金を打ち切り、銀行も那覇市の預金を凍結した。だが、兵糧攻めにすれば辞めるだろうとの考えは、市民の反撃によって打ち砕かれた。あの生活が苦しい時代に、借りてでも市民税を納める市民の行列ができたという。
 那覇市議会の中には、米軍に睨(にら)まれたら商売ができない、米軍に協力した方がいいという勢力があり、瀬長市長の不信任を画策し、バージャー民政官とたびたび密会している市議がいた。それは現在の仲井真弘多知事の父、仲井真元楷(げんかい)一議だった。何という歴史の皮肉だろうか。今度は息子が東京で閣僚たちと密会し、県民を分断する決断をし、新たな苦難を県民に押し付けている。
繰り返すアメとムチ
 現在の状況と瀬長市長のころの状況が、あまりにも似ていて、これから降りかかるだろう困難を乗り切るヒントになればとの思いで、あえて57年前の出来事を記した。
 当時は米軍が、今度は日本政府が、「アメとムチ」で迫ってくる。しかし今は、県民が米軍の弾圧を恐れず活動ができ、パスポートなしで自由に県外へ行ける。インターネットでさまざまな情報を発信できる時代である。みんなで名護市長を支えていける。「ふるさと納税」も続けよう。弁護士や研究者は知恵を出そう。瀬長市長は当時、沖縄の弁護士が弾圧を恐れて協力せず、東京の自由法曹団や自由人権協会に協力を求め、法律的なアドバイスを受けていた。その時の手紙も残されている。
 民主的な選挙で選ばれた市長を、米軍は一片の布令で追放した、それが国際的に非難され、沖縄統治政策を見直すきっかけになったという。安倍政権の沖縄への理不尽な基地押し付けが国際的に見ても許されるはずはない。海外の著名な識者29人の声明にはとても励まされた。
 私も以前から、沖縄の基地問題は国際世論を動かさないと解決しないと思っていた。特にアメリカの国民は沖縄の現実を知らない。自国の軍隊がレイプ、殺人などひどいことをするはずがない等の声がある。以前、今回の海外識者声明に参加した1人であるマイケル・ムーア監督の映画を見た感想を新聞に投稿し、「次は沖縄の映画を作ってください」と提案したことがある。昨年のオリバー・ストーン監督の講演会の時も、「沖縄の映画を作ってください」との呼び掛けに聴衆が万雷の拍手を送った。2人の監督がタッグを組めばすごいインパクトのある映画ができるだろう。世界中の人に見てもらえる映画作りに期待したい。
 仲井真知事の辺野古埋め立て申請の承認を受け、不屈館では辺野古の闘いの歴史が学べるように、写真やDVDなどの資料展の準備をしている。壁には次のようなポスターを掲示している。
 県民よ!
 今こそ立ち上がろう、迫りくる嵐から子、孫を守るガジュマルになろう
 強く深く根を張って、沖縄の大地と海をまもろう!
 連帯の握手を送る  
               瀬長亀次郎
 沖縄の戦後史から学ぶことは数多くあり、先輩たちの闘いに学び、そのことに誇りを持ち、不屈に闘おう。 (「不屈館」瀬長亀次郎と民衆資料館長)
(随時掲載)
 うちむら・ちひろ 1945年生まれ。手工芸作家。元衆院議員瀬長亀次郎の次女。昨年3月に亀次郎の残した資料を中心に展示する「不屈館」を那覇市若狭に開設。編著に「瀬長フミと亀次郎」




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