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 伊藤 千尋さんの「歌う革命」と「人間の鎖」記事

(バルト3国の非暴力独立)

312日 伊藤 千尋 15時間  · の

「歌う革命」と「人間の鎖」

(3国エストニア、ラトビア、リトアニアの非暴力による独立)

312日 伊藤 千尋 15時間  · 

「歌う月12日革命」と「人間の鎖」そして9条~非暴力の力

 大国に挟まれた小国の視点について先に、旧ソ連だったバルト3国エストニア、ラトビア、リトアニアの例を述べました。ウクライナより小さなこの3国は、平和なうちに自力で独立を達成しました。その経緯を話し「力の対決」とは違う方法を探りたいと思います。

 5年前にバルト3国を訪れたさい、心に沁みた言葉が二つあります。「すべてが失われたように思えたとき、人は友の手を握る」が一つ。もう一つはソ連軍が武力で介入したときの「歌は数百年にわたり私たちを助けてくれた。歌おう、今こそ歌おう」です。非暴力の抵抗を貫き、それが最終的に勝利をもたらしました。

 平和な革命のきっかけはウクライナのチェルノブイリで起きた原発事故でした。環境問題に目覚めた市民はソ連が建設しようとした大型ダムに反対の署名運動をし、建設中止に追い込みました。1987年のことです。ソ連の歴史上、予算の降りた大規模計画を市民運動で止めた最初の出来事でした。

 翌1988年、エストニアの首都郊外の野外ステージで「歌の祭典」が開かれました。集まったのは30万人もの人々です。そこで合唱したのが「我が祖国は我が愛」という民族の歌でした。ソ連政府から長く禁止されていたこの歌を大合唱したのです。警察もいたけれど30万人を止めることはできなかった。その2か月後、エストニアの議会は独立に向けた主権宣言を出しました。

 翌1989年、ソ連で改革路線が始まったのを機に「ゴルバチョフの改革を支援する」という名目で行ったのが「人間の鎖」です。3国の市民200万人が手をつなぎ、3国の首都600キロを結びました。

 リトアニアの首都ビリニュス中心部の広場の石畳に足形があります。ここが南の起点です。エストニアの首都タリンの高台の公園にも足形があります。これが北の終点です。手をつないだ人々が歌ったのは「ブンダ ヤウ バルティヤ(バルト3国は目覚めた)」。「人間の鎖」のために作られた歌です。

 現地で僕に通訳してくれたシモーナさんは早稲田大学への留学生でした。5歳のときにお母さんが勇気を奮って「行こう」と言い出し、父親と2歳の弟とともに参加したそうです。「これが私の人生の最初の大きな記憶です。誇りに思っています」と話します。

 これだけのことを組織だって行うのは大変でした。KGBの監視下で当局にばれないようひそかに、3国にまたがって準備したのですから。彼らはそれをやってのけたのです。

 リトアニアでは翌年の選挙で人民戦線が圧勝し、最高会議は主権回復を宣言します。そこにソ連が武力で介入し、落下傘部隊が首都ビリニュスのテレビ塔を攻撃しました。塔を守ろうと集まった市民14人が殺され、数百人が負傷しました。

 このときです。リトアニア最高会議議長は議事堂の周辺に集まった人に呼びかけました。「歌は数百年にわたって私たちを助けてくれた。だから今こそ歌おう。挑発したり争い合うのでなく、あるべき姿でいよう。銃撃を忘れて、歌おう!」

 無抵抗の市民にソ連軍が発砲したニュースは世界に伝わりました。西欧が味方しただけでなく、ロシアのエリツィンも改革派を支持しました。すかさず3国で国民投票をすると、独立賛成が90%を占めました。

 そこに驚愕することが起きました。モスクワでクーデターが起き、ゴルバチョフが拘束されたのです。ソ連軍はバルト3国に出動しました。ところが翌日、クーデター失敗が明らかになるとソ連軍は引き揚げました。ラトビアでは放送局を占拠したソ連軍が撤退するのに合わせて、市民は民謡「あなたにさようなら」を歌いました。

 この流れの中で3国は独立を宣言し、念願の独立を果たしたのです。1940年にソ連に無理やり組み入れられてから、51年後です。

 ロシアが大規模に侵略したウクライナとは条件が違うし、モスクワでも変化が起きたという好条件がありましたが、このような闘い方もあるのです。「力の対決」とは違うやり方、非暴力の闘いはけっして無力ではないし、犠牲を最小限に抑えて目的を達成することを教えてくれます。

 主張に普遍性があれば行為に自信を持つし、徹底的に抵抗する勇気を生みます。自覚した市民が連帯して目に見える行動を起こせば、状況を変える力となります。そのさいに「歌」があれば自らを鼓舞するとともに周囲を巻き込みます。

 またも長くなってしまいました。日本や9条との関連は次回にお話ししたいと思います。バルト3国のこの間の動きを詳しく知りたい方は、2020年に出版した拙著『連帯の時代』(新日本出版社)をお読みいただければ幸いです。

 画像はエストニアの首都タリンの郊外で30万人が歌った「歌う革命」の様子と、リトアニアの首都ビリニュスの広場に刻まれた「人間の鎖」の足跡です。 

伊藤 千尋さんの「歌う革命」と「人間の鎖」記事
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