杉浦公昭
以前に、沖縄・那覇市の「不屈館」からドキュメンタリー映画「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」のお知らせが届いていていました。
「不屈館」は、(瀬長亀次郎さんと民衆資料館)、館長は亀次郎次女の内村千尋さん。
私は、2013年3月1日の開館を待って毎回の辺野古・高江の座り込みの帰りに「不屈館」を訪れ、沖縄の戦後史を学ぶのを楽しみにしてきました。
先行上映の那覇市の映画館は、観客の長蛇の列ができた程の盛況だったといいます。東京では、渋谷のユーロスペースで今月26日(土)から上映されています。以下、知らせに沿って、「その名は、カメジロー」を紹介します。
〈アメリカ占領下の沖縄で米軍に挑んだ男 瀬長亀次郎のドキュメンタリー映画。なぜ沖縄の人々は声を上げ続けるのか、その原点はカメジローにあった〉
〈第二次大戦後、米軍統治下の沖縄で唯一人”弾圧”を恐れず、米占領軍に忠誠拒否し脱帽せず坐したままの日本人がいた。
米軍に忠誠拒否し脱帽しない最後列カメジロー
不屈の精神で立ち向かった沖縄のヒーロー瀬長亀次郎。民衆の前に立ち、演説会を開けば毎回何万人も集め、人々を熱狂させた。〉
〈彼を恐れた米軍は、様々な策略を巡らすが、民衆に支えられて那覇市長、国会議員と立場を変えながら闘い続けた政治家、亀次郎。
その知られざる実像と、信念を貫いた抵抗の人生を、稲嶺元沖縄県知事や亀次郎の次女など関係者の証言を通して浮き彫りにしていくドキュメンタリー。〉
制作者側の紹介もある。〈「筑紫哲也NEWS23」でキャスターを務め、筑紫哲也氏の薫陶を受けた佐古忠彦初監督作品。テーマ音楽は作品の主旨に共感した坂本龍一がオリジナル楽曲を書き下ろし。語りには、名バイプレイヤー、大杉漣が参加。〉
辺野古の米軍新基地建設反対の座り込みへとつながっているドキュメンタリー。ネーネーズの歌じゃないですが、これからの我が国、「あなたならどうする? 教えてよ!カメジロー」と言うところ。是非見て下さいね。
http://www.kamejiro.ayapro.ne.jp/
公開日と上映時間
8月26日(土)、27日(日) 11:00/13:30/16:00/18:30~20:45
8月28日(月)~8月30日(水) 12:00/14:15/16:30/18:45~20:45
8月31日(木)、9月1日(金) 9:45/12:00/14:15/16:30/18:45~20:45
9月2日(土) 10:00/11:30/14:00/16:30/18:45~20:45
9月3日(日)~8日(金) 10:00/12:00/14:15/16:30/18:45~20:45
9月9日(土)、10日(日) 9:45/12:00/14:15/16:30/18:45~20:45
9月11日(日)~15日(金) 10:0/12:00/14:15/16:30/18:45~20:45
※9月16日以降未定
入場料金:一般1800円/大学・専門学校生1400円/会員・シニア1200円/高校生800円/中学生以下500円
イベント情報、舞台挨拶&ティーチイン:9月2日(土)11:30、14:00上映後 ティーチイン ゲスト:佐古忠彦監督、藤井和史さん(プロデューサー)
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アメリカ占領下の沖縄で米軍に挑んだ男、瀬長亀次郎のドキュメンタリー映画。
なぜ、沖縄の人々は声を上げ続けるのか、その原点はカメジローにあったと考えられます。
2013年3月27日は、人民党時代から瀬長亀次郎委員長を書記長として支えてきた古堅実吉さんの講話・第一回高江学習会「沖縄戦の概略について」を聞きました。
その中で「1972年の沖縄返還は未完成で米軍基地問題を残してきている。
今日の沖縄県民の米軍基地撤去の闘いは正当であり、我が国の根幹にかかわる問題である。
日米両政府の理不尽な押付けを断固拒許さず、闘いを更に強化、発展させ、全国に広げて行こう。
諸悪の根源安保を廃棄し、憲法を守る崇高な国民的たたかいに発展させよう。
平和憲法の輝く日本にして行こう」と呼びかけられました。
カメさんも今生きておられたら、同様に呼びかけていたものと思います。
オール沖縄、訪米成果を報告、労組ら反応に手応え(琉球新報の政治欄より)
杉浦公昭
記者会見で話すオール沖縄会議訪米団員ら=25日午後、県庁
辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議の第2次訪米団は、25日、記者会見を開いて訪米の成果を報告した。
団長の伊波洋一参院議員らが、アジア太平洋系アメリカ人労働者連合(APALA)の総会で沖縄の米軍基地拡張を止める決議をしたことや、マーク・タカノ米下院議員ら計6人の議会関係者に沖縄の現状を訴えたことなどを話した。
訪米団は報告会を9月末に計画している。
副団長の糸数慶子参院議員は「APALAには60万の組合員がいる。
有権者である彼らが一緒に立ち上がってくれたことが大きい。議員らの反応も良い」として、米労組と連携する意義を強調した。
訪米団の吉川秀樹氏(ジュゴン保護キャンペーンセンター)は、辺野古・大浦湾の自然保護の観点から、国連人権理事会特別報告者のデイビッド・ケイ氏らと意見交換したことを報告した。
吉川氏は「主体的に沖縄の状況を訴えていけるかが大切だ。ケイ氏は協力してくれる」と手応えを話した。
杉浦公昭
昨夜、九条の会・さいたまが事務局主催の中村哲医師のお話を埼玉会館で聞きました。
ここ数年、安倍暴走政治の害毒に晒されていた私の心に 一陣の清風が吹きました。
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/index/title01x04.jpg
病気を治すことは、人々の命を助けることであります。
飲み水が無く泥水をのんで疫病になり死んでいく命を助けるには、清らかな水が必要です。
そのため、医者が井戸を掘り、利水の土木工事をしてきました。
水路工事は機械に頼らず、石を積み上げて行う伝統的な現地方式で行いました。
地元の技術復活とその改良は洪水による自然破壊以後の復元に役立ちます。
水路(用・排水路)ができると緑が蘇り、田畑か潤い食料が得られます。
そして地下水面が上昇し、井戸水がでるようになり、飲料水が確保され、命が保障されます。
さらに魚、生物が次々育ってきます。
現地人は、命の水確保のため52℃の炎天下で熱中症が出る中でも、用水路作成工事の手を休めません。
日本人は一寸緑が戻ると終わったと思いがちですが、水路の完成は平和の復元であり、今後百年はかかリます。
私の死後も継続できるよう、我が国から、国連からの支援も要請を続けて行きます。
後継者としては、特に水路技術者の育成のため訓練所も作っています。
これをモデルにしてアフガニスタンの復興に役立て、将来はアフガニスタンのことは彼らが決める。
戦争の危険から身を守るには、普段から自分で気をつける。
敵を作らないで、誰とも仲良くする。どんな人とも話しをする。
敵同士でも、村に帰ればお互い仲良くやっている。
武器によっては身の安全は保障されません。
命を大切にするために自分は何ができるか考え見付け実行する中にこそ平和があリます。
辺野古基地反対者を軽車両がひき逃げ!
杉浦公昭
冨久亮輔氏が緊急情報を伝えてくれました。
今朝六時頃シュワブ浜工事用のダンプ基地入りに対して抗議に集まっている人に軽車両が突っ込み、怪我をさせて逃走しました。
取りあえず以下に示した琉球新報など、今判明していることをお伝えします。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-561200.html
米軍キャンプ・シュワブのゲート前で抗議する市民ら
=8月24日午前9時50分(琉球新報の写真より)
今回の「事件」は明らかに今迄の弾圧とは違っています。
沖縄県民は、このような無法な暴力を恐れるどころか、怒りを闘いの力に変えています。
皆様も私どもと共に、沖縄県民との連帯を一層の強めて下さる様、お願いいたします。
9条改憲阻止の会
高江住民運動私怨基金
ワンカラ市民の会・関東支部
杉浦公昭
8月23日の沖縄タイムスは、米国での日米原告による【沖縄ジュゴン訴訟】の様子を報道しました。
「辺野古の新基地建設からジュゴンを守って!」とアメリカでおきていた沖縄ジュゴン訴訟が大きく進展したと言います。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/131530
ジュゴンのつがい
この裁判は、辺野古の新基地建設が北限のジュゴンのすみかを奪うことになり、アメリカの文化財保護法に反するとして、日本とアメリカの市民グループや生態系の専門家などが起こしていた裁判。
おととしの一審では棄却されていましたが、この控訴審では一転、原告の主張が一部認められて、審理が差し戻されたんです。
今後の裁判の審理によっては、工事が中断される可能性もあります。
辺野古の米軍進基地建設反対の人たちも、アメリカで同訴訟を起こした仲間の人々も共に喜込んでいます。同時に気持ちを引き締めていこう、と話していると言います。
声を上げ続けてきたみなさんの運動の大きな前進です。どうぞ、この沖縄タイムズのニュース記事を広く拡散して広めてください!
追伸: 「辺野古の環境アセスメント」と闘った私としては、このニュースを大歓迎します。そもそもあの環境アセスメントは、全くでたらめなものでした。例えば、日本政府は、絶滅危惧種ジュゴンの環境調査と称して、辺野古近辺の海に現れたからジュゴンを上空から爆音の激しいヘリコプターを海面すれすれに飛び、威嚇してこの海から追い出しました。 以上。
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韓国が脱原発への大転換を表明!
杉浦公昭
韓国の文在寅大統領が脱原発に大転換すると表明しています。
脱原発運動を進めている我々も大歓迎です。
日本も大いに見習うべきです。それにはもっと運動を強めなければならないと思います。
ともあれ、赤旗日曜版8月20日32頁を参照してみて下さい。
上記記事が見にくい場合は下記から見てみて下さい。
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-4a-31/kbdph775/folder/578461/32/18046032/img_0_m?1503272857
杉浦公昭
今年の8月のNHKは、ニュース以外の番組で見ごたえのある番組が続いた。
2017.8.5ETV特集「告白~満蒙開拓団の女たち~」や2017.8.15スベッシャル「旋律の記録・インパール作戦」や2017.8.20スベッシャル「東京戦後0年」などがそれだ。上記の三番組を見終わった感想を述べてみたい。
人間、食べる物が無くなると、戦友の肉を食べたり、貞操を献上したり、売ったりしてでも生きようとするものであり、我々も追い詰められれば同様のことをする根性を秘め保持している存在と思い知らされた。
戦後のどさくさの中で闇市こそ多くの命を餓死から救ったとは、皮肉なものである。
しかし、戦争を起こし、戦争で儲け、本来処罰されるべき政治家や政商どもが、戦後の米軍の都合で責任を逃れたばかりか、再び日本の政界を牛耳って行ったことに憤りを感じた。
米国のスパイになったA級戦犯の読売新聞の社主・正力松太郎とか・A級戦犯の元総理大臣の岸信介が映像に出なかったのはNHKが安倍政権の「意向を忖度した」結果と考えられる。ともあれ安倍放送局を務めるニュース番組よりましな番組だった。
杉浦公昭
今年の敗戦記念日、シールズだった奥田 愛基さんが、敗戦前日の「8.14,2330 ー最後の空襲、熊谷ー」のビデオを見てほしいとFaceBookに掲示しました。
https://vimeo.com/146109262
日本が敗戦することが分かって居ながら、米国はなぜ熊谷攻撃を止めなかったのか?
「もう殺さなくてもいいのに」と個人が思っても、個人では止められないのが戦争です。しかし、米国としては止められた筈です。
戦後になって、もう1日早く負けていたらとか、もう1年早く負けていたらとか、残念がる人がいます。
その心情は同情しますが、それを言うなら、今日、安倍政権が戦争への道をまっしぐらに進めていることを止めるために立ち上がってもらいたいと思います。
国民の側に昔も今も責任があったし、あると自認すべきと考えます。
戦争をさせないことが、自他共に生きる道と考えます。
88歳島袋オバア、人間いかに生きるべきか語る!
杉浦公昭
この10年来、辺野古や高江でお目にかかっている島袋文子オバアです。この5分少々のお話の中に沖縄戦の史実と人間がいかに生きるべきかの本質が語られている。以下の動画を日本国民一人一人に見て考えて欲しいと思います。もし時間が有りましたら毎日の記事も読んで下さい。
毎日新聞2017年8月17日 辺野古問題について
88歳島袋おばあ 東京で移設強行「反対」訴え
https://mainichi.jp/articles/20170818/k00/00m/040/096000c
議員会館で2017年8月17日午後4時25分、後藤由耶撮影
毎日新聞デジタル記事より
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先とされる同県名護市辺野古で暮らし、移設への抗議活動を長年続けている島袋文子さん(88)が17日、東京都内で講演した。「辺野古に基地を作らせない」と訴え、首相官邸前でも街頭宣伝をした。
市民団体でつくる実行委員会が主催。参院議員会館の講堂で開いた講演会は、実行委によると約500人が参加した。
島袋さんは沖縄本島南部の糸満出身。1945年4月に本格的な地上戦が始まると、目が不自由だった母、小学生の弟と逃げ回り、自身は米軍の火炎放射器で左半身に大やけどを負った。3人は生き残ることはできたが、「鉄の暴風」下の逃避行で、住民の凄惨(せいさん)な遺体を至る所で目撃した。
戦後に結婚した夫と移り住んだ辺野古への移設計画が浮上すると、反対運動に参加。足が衰えた現在も、埋め立て工事の中止を求め、辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前で座り込みを続けている。
講演で島袋さんは、時折声を詰まらせながら、遺体が浮かんだ池の水を飲むなどした沖縄戦での体験を振り返り「基地を置くから戦争が起こる。戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」などと安倍政権を批判。「(抗議活動中に)機動隊にゴボウ抜きに(排除)され、工事車両がゲート内に入っていくのを見ると涙が出るほど悔しいが諦めるわけにはいかない。本土の皆さん、力を貸してください」と呼びかけた。【斎藤良太】
杉浦公昭
FaceBookで坂井 貴司さんは以下のように書きました。
72年が経っても原爆は終わっていないことを示すニュースを今日8月14日のNHKニュースウォッチ9が放送しました。
広島・長崎への原爆投下の被爆者の相談に応じる相談所があります。被爆者の数が減り、高齢化が進む一方、相談の数は年々増えているとのことです。
相談件数が増えた大きな理由に、差別を恐れて黙っていた被爆者が、人生の終わりを前にして名乗り出るようになったと相談員は言いました。
これまでに寄せられた相談内容をみると、被爆者への差別がいかにひどいものであったかがわかります。特に結婚に関する差別は深刻です。
「結婚式を上げる直前に、向こうの方から破談を通告された。娘が子供の時に被爆したことを探偵を使って知ったらしい。『原爆病が子孫に伝染するから』と言った。娘は自殺した」
「被爆した息子は『被爆者であることを知られたくない』と広島から埼玉県へ引っ越した。それ以来50年間会っていない。全く連絡しなかった。最近、息子が戸籍を変えたことを知った」このようなことがありました。
「相談者の姉は原爆の熱線を浴びて大火傷を負い、ケロイドになった。医師はABCC(放射線影響研究所)へ行くことを強く勧めた。彼女はモルモットにされるのは嫌だ、と断った。医師は『どうせ死ぬのだから』と無理やりABCCに彼女を連れて行った。身体を調べられた彼女は間もなく死んだ。
医師は被爆者をABCCに提供すると、アメリカ製の医薬品を報酬としてもらえることを知った彼女の弟である相談者は、その医師をナイフで刺した。相談者は少年院に入った。少年院を出た後、相談者は現在まで一人で生きてきた。今は東京で生活保護を受けて、孤立した生活をおくっている」。
相談所の係員は「72年間も戦争の被害が継続している例は他にはありません」といいました。
原爆の悪夢は終わっていないのです。
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私は、坂井 貴司さんの投稿に以下のようにコメントしました。
米国は、対日戦争を利用して、対ソ戦争に備えるためと、原爆の人体実験を目的として原爆を投下しました。
米国のABCC病院は、名こそ病院でも被爆者の治療はせず、被害の標本集めばかりしました。
被曝軍医の肥田俊太郎氏は国連のウ・タンと事務総長に被爆者の治療のための放射線の国際シンポを陳情しました。
しかし、事務総長は、「日米政府から「被爆者は1945年末までに全て死んだので、今は病気の被爆者は一人も居ない』と報告を受けている」と受け付けませんでした。
そこで軍縮局長と話し合い、今でも病気で苦しんでいる被爆者の証拠を出すことになり、被団協や原水協の協力で1万数千人の報告書を提出しました。...
その結果1976年に国連NGO主催の被曝問題シンポが東京と広島で開かれ、被爆者の実相が世界に伝わったのです。
被爆者は直接の被害ばかりでなく、戦後、体内被曝による病気にも苦しめられ、同じ国民から差別され、さらに米国の核戦略(被爆者が生きている限り苦しめられる兵器である真相を世界に知られると、核兵器が禁止され事を恐れて隠蔽する戦略)のために病人でありながら病人ではないことにされ今日に至っているのです。
被爆者は「今でも殺され続けている」と告発しています。
国民の皆さんこの史実をしっかり学び、再び過ちを犯さないようにしましょう!
杉浦公昭
<この情報の拡散歓迎!>
オリバー・ストーン監督の映画「スノーデン」を下記の要領で上映致します。
スノーデンは、米国のスパイ組織CIAで働き、米国が世界の一人一人の情報を把握して米国益のために使用していることを知り、驚愕し、世界の人々のために勇気をもって暴露しました。
この実話を題材として必要な脚色もして娯楽番組としても面白い映画となって居ます。
戦争法、秘密保護法、共謀罪法などが国会で強行採決され、いよいよ戦争前夜を思わせる事態になって来ている居る今日、この映画から学ぶ点が多いと思います。
是非時間を作って見に来て下さい。
記
日時:9月9日(土)◆1回目 10 :00 ~12 :15 ・トーク12 :20 ~12 :50
◆2回目 13 :30 ~15:45 ・トーク15 :50 ~16 :20
場所:川越市・市民会館・やまぶき会館
入場料: 1,000 円 中高生500 円(当日券も同額)
上映後、スベッシャルトーク、 ~共謀罪について考える~ 刑事事件専門の長沼正敏弁護士
どうぞ宜しく皆さんを誘ってきて下さい。
草々。
北朝鮮の脅しへのPAC3配備は「国民を戦争へ導く」茶番。
杉浦公昭
今は亡き元自衛官で防空部隊所属の泥憲和さんが昨年8月2日の横須賀軍港見学会で言っていました。
日本は2004年から『ミサイル防衛網を配備。SM3が大気圏外で、PAC3が地上から撃ち落とすと言う2段構えです。
大陸間弾道ミサイルは音速の10~20倍で飛行するので撃ち落すのは不可能です。
まっすぐ自分に向かってくる場合は稀に命中するかもしれませんが他の場合は全く不可能です。
従って、日本国民を騙して安心させ、我々の税金で米兵器産業を儲けさせるのみだと。
この事実で北朝鮮の弾道ミサイルによる米ガム島への脅しに対する日本の弾道迎撃態勢を考えて見て下さい。
米兵器産業を儲けさせるための米国に操られた日本政府が国民を戦争へ駆り立てるための茶番劇を演じている姿が見えてきませんか?
しかし、日本政府の対応は茶番であっても米朝の応酬は危険な火遊びです。
間違ってボタンを押せば日本は核戦争の米国の防波堤にされます。
国際紛争は、あくまで話し合いによる外交以外は解決の道はありません。これが理想論でなく人類が生き残る最も現実的方法です。
日本TV系ニュース(NNN)の動画を参照下さい。
「PAC3」島根、広島、愛媛、高知に展開
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20170812-00000029-nnn-pol
杉浦公昭
長崎の原爆で亡くなった幼子を背負い「焼き場に立つ少年」・オダネル氏撮影
====この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことは出来ないであろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ち尽くしていた。====
これを撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネル氏の妻・酒井貴美子さんが夫の生涯をたどり、今年の長崎原爆の日の9日に著書が出版された。
署名は、「神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産」 (いのちのことば社) (Forest・Books) 単行本(ソフトカバー) – 2017/7/5
オダネル氏は原爆投下国の軍人でありながら、原爆投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている。購読をお薦めします。
なお、時間の許す方は、以下の動画もご覧ください。
2008 年8月7日オダネル氏を追いかけて放映したNHKスペッシャル
「解かされた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI」(語り:柴田祐規子)
の動画をDailymotionより見つけましたのでご紹介します。(所要時間:約50分)
http://www.dailymotion.com/video/xzghxa_yyyyyyy-yyyyyyyyyynagasaki_news#.UYKKBxyILXp
さらに朝日新聞DIGITALより関連する動画を紹介させて頂きます。【写真特集】ナガサキ、フィルムの記憶
http://www.asahi.com/special/nuclear_peace/gallery/nagasaki/?iref=pc_extlink
参考までに、
「焼き場に立つ少年の写真」(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より
昭和20年8月9日午前11時02分、長崎に原爆が投下されました。原爆は浦上地区の中央で爆発し、この地区を壊滅させました。被災して亡くなった方々の遺体を焼いているところに、幼い弟(妹?)を背負い、はだしで、歩いてきた少年。この写真を撮った米従軍カメラマンのジョー・オダネル氏です。オダネル氏はこの写真に次のようなコメントを残していす。
オダネル氏のコメント。
佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。少年の様子はあきらかに違っていました。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。私は、背中の幼子が、すでに死んでいることに気づきました。男たちは幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気づきました。少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。
米兵オダネル氏撮影の「焼き場に立つ少年」
杉浦公昭
長崎の原爆で亡くなった幼子を背負い「焼き場に立つ少年」―-J・オダネル氏撮影
====この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことは出来ないであろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ち尽くしていた。====
これを撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネル氏の妻・酒井貴美子さんが夫の生涯をたどり、今年の長崎原爆の日の9日に著書が出版された。
署名は、「神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産」 (いのちのことば社) (Forest・Books) 単行本(ソフトカバー) – 2017/7/5
オダネル氏は原爆投下国の軍人でありながら、原爆投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている。購読をお薦めします。
なお、時間の許す方は、以下の動画もご覧ください。
2008 年8月7日オダネル氏を追いかけて放映したNHKスペッシャル
「解かされた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI」(語り:柴田祐規子)
の動画をDailymotionより見つけましたのでご紹介します。(所要時間:約50分)
http://www.dailymotion.com/video/xzghxa_yyyyyyy-yyyyyyyyyynagasaki_news#.UYKKBxyILXp
さらに朝日新聞DIGITALより関連する動画を紹介させて頂きます。【写真特集】ナガサキ、フィルムの記憶
http://www.asahi.com/special/nuclear_peace/gallery/nagasaki/?iref=pc_extlink
参考までに、
「焼き場に立つ少年の写真」(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より
昭和20年8月9日午前11時02分、長崎に原爆が投下されました。原爆は浦上地区の中央で爆発し、この地区を壊滅させました。被災して亡くなった方々の遺体を焼いているところに、幼い弟(妹?)を背負い、はだしで、歩いてきた少年。この写真を撮った米従軍カメラマンのジョー・オダネル氏です。オダネル氏はこの写真に次のようなコメントを残していす。
オダネル氏のコメント。
佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。少年の様子はあきらかに違っていました。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。私は、背中の幼子が、すでに死んでいることに気づきました。男たちは幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気づきました。少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。
杉浦公昭
今日は昨日開かれた「長崎『原爆の日』・長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式」
の動画をお届けいたします。
忙しく、テレビその他で式典の様子を見られなかった方、
また、もう一度動画を視聴したい方のために、以下のURLをお知らせいたします。
みんなで見て、核兵器のない平和な世界を求めて行動していきましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=EPZdFfPm6nE
添附の被爆者の国際署名のPDF版またはping版を用いて周り人々に署名を勧めて下さい。
直ちにネット署名したい方は、以下をクイックして署名して下さい!
https://www.change.org/p/%E5%9B%BD%E9%80%A3-%E3%83%92%E3%83%90%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%81%AE%E9%A1%98%E3%81%84-%E6%A0%B8%E5%85%B5%E5%99%A8%E7%A6%81%E6%AD%A2%E6%9D%A1%E7%B4%84%E3%82%92%E7%B7%A0%E7%B5%90%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84
杉浦公昭
国連での核兵器禁止条約の締結は、核兵器保有国の同意がなければ完結せず、これから世界の各国と人々は、保有国と非保有国の溝を埋める努力を国連とともに進めなければならない。締結は歴史上画期的ではあったが、完全禁止に向かって歩みだす一歩でもある。皆さん被爆者の国際署名などを進めて、世界の世論を一層高め目ましょう!
今日は、国連の軍縮活動の中心になってご活躍の中満泉さんの出ているユーチューブ2本をご紹介いたします。時間のない方は最初の一本だけでもご覧ください。
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2017.8.4日本記者クラブは中満泉さんを招き山田惠資氏(時事通信)の司会で国連の軍縮活動について話して頂いた。
中満泉さんは、1989年に国連入り、今年5月に日本人女性として初めて国連の軍縮部門トップに就任。軍縮の速度が低下している現状に危機感を表明。「軍縮実現には人道だけでなく安全保障の観点も必要。軍縮プロセスに、企業、研究者など民間部門の参加が21世紀の課題」と主張している。
https://www.youtube.com/watch?v=AVoXVoFEVgA https://youtu.be/AVoXVoFEVgA
2017.7.12クローズアップ現代+「シリーズトランプのアメリカを行く 中満泉・国連事務次長に聞く」のユーチューブ。
トランプ大統領が打ち出した内向きの政治が世界に蔓延する中で、核兵器禁止条約交渉を進めるコスタリカのホワイト議長の補佐役として活躍した内容にも触れている。
https://youtu.be/2LcnmwZ47wI?t=75
杉浦公昭
昨年10月11日, (火 )私の尊敬する吉田収元東洋大学教授より、
一昨年一度は放映され、昨年8月4日午前5時8分から再度放映されたNHKスベッシャル原爆投下3時間後の広島の写真「きのこ雲の下で何が起きていたのか」を紹介され、世の中に拡散させて頂いてきました。
それから約1 年経ちました。この原爆投下72年目のこの時期に再び皆さんに見て頂けたらと、ここに魯参さんから紹介されたビデオのURLを記しますので、是非時間を作ってご覧下さい。
https://youtu.be/nnCaNsxd5lc
お時間のある方はアマゾンから売り出されている動画のトップカスタマーレビューをお読みください。
5つ星のうち 5.0全人類必見
投稿者 Blacktaper 投稿日 2016/8/6
形式: DVD
原爆の悲惨さを伝える時、想像力を働かせとよく言われる。だが、想像力とはなんとも頼りないものである。なぜなら、所詮それは自分の経験知識の枠からはみ出るものではないからだ。このドキュメンタリーを観ると、原爆の被害はまさに想像を絶するものであったことがよく分かる。
広島への原爆投下後まもなく写された、現存することが知られているたった2枚の写真。その中に、黒い何かを抱きながら走っているような恰好をした女性と、頭髪が爆発したような女性が写っている。その2人と周囲の人々がどのような状況にあったのか、当時この場所(御幸橋)に実際にいた目撃者の証言や専門家の見解も交えながら、徹底的に検証が行われる(ちなみにこの写真の中には、今年5月に広島を訪れたオバマ大統領と握手した坪井直氏も写っている。なんという偶然であろうか)。
圧巻は、写真の中の人物をCGとして動かす場面だろう。それは決してドラマのようなオーバーアクションではなく、あくまで証言に基づいた動きのみであり、それぞれが単調な挙動をするにすぎない。しかし、だからこそ、かえって真実味が増し、原爆被害の実相が強烈に実感できるのだ。
NHKスペシャルはこれまでいくつも見てきたが、これほど圧倒的なインパクトを持ったものはかつてなかった。昨年はじめて観た時から忘れがたかったが、今回、英語音声・字幕も付けられてDVD化された。まさに世界中の人々に観てもらいたい内容である。
8/5 第32回さようなら原発川越デモ・継続は力なり
杉浦公昭
8/5 第32回さようなら原発川越デモは、無事に終りました。
猛暑の中40名が参加し脱原発を訴えて歩きました。
沿道の皆様、応援して下さって、有難とうございました。
そして参加して下さった皆さん、お疲れ様でした。
これからも脱原発を中心にして訴え続けて行きます。
このデモの動画のURLを記しておきます。時間のある方はご覧くださぃ。
次回 の第33回さようなら原発川越デモは、10月7日(土)15時〜です。
その頃は涼しくなると思いますので、多数ご参加ください。
継続は力なりと頑張りましょう!
杉浦公昭
昨日は、8.6広島原爆の日でした。軍学共同反対のメール友達からの
以下の竹内憲一 氏のメールを転送させて頂きます。
NHKニュースは安倍放送局にされていますがNHKスベッシャルはなかなかの力作を見せてくれます。
昨日(8月6日)21:00~NHKスペシャルとして「原爆死―ヒロシマ72年目の真実―」が放送されました。
広島市が蓄積してきた約56万人に及ぶ被爆者たちの『原爆被爆者動態調査』記録を、
NHKが最新のビッグデータ解析技術を駆使して調べた結果を放映しました。
その中で、爆発中心から北西方向て゛“原爆死ホットスポット”の存在が分かりました。
日本政府は、最初は、爆心地から2Km以内、その後被爆者の運動で3.5Km以内と
爆心地からの距離で被爆者の認定をしてきた誤りが明確になりました。
原死爆弾の爆発に伴って発生した多量の放射性物質を含んだいわゆるキノコ雲は、
東南から吹く風に乗って北西に広がり、黒い雨として降リ、飲み水などを汚染して
内部被曝をもたらし原爆症を発症させていたことが分かりました。
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原爆死 ~ヒロシマ 72年目の真実~
再放送、8/9(水)午前0時10分~0時59分 (8日深夜) NHK総合
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予告、NHK【BS1】8/12(土)午後8時から
長崎の“原爆ドーム” はなぜ取り壊されたのか?
長崎“幻の原爆ドーム” 被爆の象徴はなぜ消えた。
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日本は、台風と猛暑のダブルパンチに襲われています。
お互いに身体に気を付けて暮しましょう!
敬具。
From: 竹内憲一
Sent: Sunday, August 06, 2017 6:57 PM
To: liaison_nomillitaryresearch@googlegroups.com
Subject: [軍学共同反対:624] ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名 ほか(再送)
皆様
8.6広島原爆の日ですが、「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」のお願い
をさせていただきます。核兵器は軍学共同の成果として誕生しました。原子力の具体的な利用は、
軍事目的による核兵器の使用から始まりました。広島・長崎での核兵器は都市を壊滅させ、数十万
の人々を殺傷しました。2017年7月7日に国連で核兵器禁止条約が採択されました。日本と核兵器
保有5ヶ国は参加を拒否している状態です。被爆者の願い国連総会に提出しましょう。
*署名用紙のPDFも添付します。
本日21:00~NHKスペシャルとして「原爆死―ヒロシマ72年目の真実―」が放送されます。
8月6日 竹内憲一
一般社団法人 東友会:https://t-hibaku.jp/
署名:https://t-hibaku.jp/syomei.html
核兵器禁止条約全文:https://mainichi.jp/articles/20170708/mog/00m/030/001000c
核兵器廃絶日本NGO連絡会:https://nuclearabolitionjpn.wordpress.com/category/%E6%A0%B8%E5%85%B5%E5%99%A8%E7%A6%81%E6%AD%A2%E6%9D%A1%E7%B4%84/
国連広報:http://www.unic.or.jp/news_press/info/25081/
NHKスペシャル・原爆死―ヒロシマ72年目の真―:
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170806
軍学共同反対連絡会ホームページ http://no-military-research.jp
お問い合わせ・参加希望は、事務局 kodera@tachibana-u.ac.jp へお願いいたします。
7月25日は、キューバの『チェ・ゲバラが広島に立つた日』です。
小西 理さんは、FaceBookにの動画を投稿しました。7月28日 11:18 。
下の動画はYouTube で見られますが拡散出来ないようになってます。私がが一度ダウンロードして貼り付けた動画です。ゆえにアドレスは有りません。
シェアお願いします。
そこで杉浦が以下のようにシェアさせて頂きました。
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本気になって、命を懸けて世界から貧困をなくそうとした男・チェゲバラ。
https://www.facebook.com/satoru.konishi.35/videos/707830649320900/ 7月25日は、キューバの『チェ・ゲバラが広島に立つた日』である。56年前の1959年7月25日チェ・ゲバラが広島原爆慰霊碑に献花した日である。池田勇人通産相(当時)と会見した後千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ訪問と献花の予定であったが・・・
ゲバラは「私は行かない数百万のアジア人を殺した帝国主義の軍隊じゃないか。私は絶対に行かない。行きたいのは広島だ。広島はアメリカが10万人の広島の一般市民を殺した場所だ」と言い日本政府を慌てさせるしかし日本政府はアメリカを恐れて広島の正式訪問を認めない。しかしゲバラは広島行きを決行したのである。
ゲバラの広島行きについて①外務省記録②随行した日本の新聞記者の記録③同行した副官のフェルナンデスの日記。それぞれ少し違っているが、副官フェルナンデスの日記に従い書くことにする。
7月23日愛知県 トヨタ工場見学。7月24日大阪での歓迎パーティー出席。パーティー終了後、ゲバラは大阪と広島がそれほど遠くない事を知り、「僕らには48時間しかない、日本政府には言わずに広島にいこう」と言い出す。
使節団の半分を大阪に残し、ゲバラたち3人は極秘に自分達で乗車券を買い、夜行列車で広島行きを強行する。
広島に着いたゲバラは、1500円の献花用の花を買う。今で言えば2万ぐらいだろうか?
フェルナンデスは倹約家のゲバラの高額な出費に驚いている。
ゲバラは、1時間以上も見学し、「原爆資料館で見たものは、ただ恐ろしいものばかりだった」と大きな衝撃を受け、「今日からは広島と広島の人を愛していこう」という言葉を残す。
そして「アメリカが犯した罪、引き起こした惨劇を世界の人が見るべきだ」というメッセージをカストロはじめキューバ国民に発する。そして、日本に対して『君たち日本人はアメリカにこれほど残虐な目にあわされて腹がたたないのか』と問いかけた。
私は、アメリカはあの時から何も変わってないと思う・・・
1959年7月25日にチェ・ゲバラが妻に送った手紙。愛する君へ今日は原爆が投下された広島から、この手紙を送ります。慰霊台には7万8千名もの死者の名が刻まれ被害者は全体で18万名に上ると推定されます。この地を訪れることは平和のための戦いにおいて糧となります。 愛を込めてチェ。
PS
アメリカは戦後原子爆弾を投下したことについて謝罪していない。また日本政府が謝罪を要求したこともない。
アメリカは「原爆投下は戦争を早く終わらせる為に必要であった」と言うが、それは言い訳にすぎない。アメリカ陸軍省諜報部による1946年の最高機密調査では、「日本の降伏に原爆はほとんど関係がなかった」と結論が出されている。
原爆投下は、ソ連に対してアメリカが強力な科学兵器(原子爆弾)を保有している・・・デモンストレーションだったのである。
また原爆が武器としてどれ程の威力が有るのか?広島と長崎で実験したのに過ぎない。もし日本に本当の右翼が在るならば、アメリカに対してキッチリ謝罪を求めるのがスジである。
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杉浦も、本気になって、命がけで、平和を求めて闘い続け、死んで行きたいと思っています。 (81才の自称青年)
「革命という言葉を軽々しく使わないで」
■小池晃・共産党書記局長(発言録)
内閣改造があったが、革命という言葉をね、軽々しく使わないでほしいと思います。人づくり革命(担当相)と。革命っていうのはもう政治権力が変わるわけですよ。ある階級からある階級に政治権力が変わるような重い言葉だと思う。
人づくり革命なんだったら、やっぱり政権交代するしかない。共産党が政権についてこそ本当の人づくり革命なんじゃないですか。(記者会見で)
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小池さん。さすがに革命政党だけあって、革命と言う言葉に誇りをもって、きちっとした指摘をされますね。安倍氏はそんな深い意味とも知らずに、印象操作に役立てばと軽い気持ちで使ったと考えられますね。
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伊藤 千尋さんのカミーロ・ゲバラと私
カミーロ・ゲバラと私(伊藤 千尋)
今日はカミーロ・ゲバラ氏を取材しました。
あのチェ・ゲバラの長男です。50分の単独会見でした。彼は9日から写真展を東京で開催するために初めて来日したのです。父親の記憶はまったくないのですが、実は・・・という話が出ました。未公開の話です。
この10月9日がゲバラの死から50周年に当たります。
会見の内容は週刊金曜日などに書く予定です。10月にピースボートでキューバに行きますが、そのさいにゲバラ研究所を訪れ、その「実は・・・」に触れてきます。
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写真展 写真家、チェゲバラが見た世界
日時:8月9日から27日(日)11時へ20時
場所:恵比寿ガーデンプレイス ザ・ガーデンルーム
チェ・ゲバラは私の憧れの人物です。彼が写した写真は是非見たいと思います。写真展には何としても行きたいと思っています。