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沖縄県民と共に新基地建設阻止と戦争法廃止を!

2015年10月31日

  沖縄県民と共に新基地建設阻止と戦争法廃止を!

     杉浦公昭

 沖縄戦で生き残り、「命どう宝」と、人殺しのための基地新設をさせまいと座込み続けて来た、沖縄の「お爺、おばあ」たち。
 日米の軍産勢力は、日米政権を動かし、戦争反対の国民を儲けのための邪魔者扱いにし、力づくで襲い掛かっています。
 国民の皆さん!これは沖縄の問題ではありません。
 私たち国民全体の命と暮らしの問題です。
 大きくとらえれば人類生存の問題です。...
 沖縄県民と連帯して新基地建設阻止と戦争法廃止のために、安倍政権を打倒しましょう!

Shoichiro Ikenagaさんよりシェアさせて頂きました。

【社説】辺野古着工 民主主義に背く強行だ

2015年10月30日 東京新聞

 沖縄県名護市辺野古で米軍基地の新設工事が始まった。海兵隊拠点の国外・県外移設を求める県民の民意を顧みない安倍政権の暴走だ。安全保障のみならず日本の民主主義の在り方をも問うている。

 米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)返還のため、代替施設の建設地を辺野古に定めた一九九九年の閣議決定から、十六年を経ての本格的な着工である。予定工期は二〇二〇年十月末だという。

 普天間飛行場は周囲に住宅が迫る。〇四年には隣接する沖縄国際大に米海兵隊の大型ヘリが墜落した。かつて視察したラムズフェルド米国防長官が「世界一危険」と指摘したこともある。

 普天間飛行場の閉鎖、日本側への返還が急務であることに異論はない。しかし、代替施設を同じ沖縄県に造る県内移設に、なぜ県民の多くが反対するのか。政府だけでなく、本土に住む私たちも深く考えねばならない。

 米軍に強制的に接収された普天間飛行場の返還要求は以前からあったが、日米両政府間で具体的に動きだした契機は九五年の米海兵隊員による少女暴行事件である。

 国土面積の1%にも満たない沖縄県には今も在日米軍専用施設の約74%が集中する。事故や騒音、米兵による犯罪に加え、米軍の戦争に加担しているという心理的圧迫など、基地集中による重い負担を、県民は強いられている。

 宜野湾市の中心部を占める普天間飛行場の返還は負担軽減策の象徴だが、日米両政府の結論は同じ県内の辺野古への移設であり、唯一の解決策との立場である。

 基地を同じ県内に移しても負担軽減にはならない、なぜ沖縄だけが過重な負担を強いられるのか、日米安全保障条約体制が日本の平和に必要なら、日本国民が等しく基地負担を負うべきではないか。

 それが沖縄県民の訴えであり、私たちも共感する。

 しかし、安倍政権は選挙で示された県民の民意をも顧みず、「抑止力」を掲げて、県内移設に向けた手続きや工事をやみくもに進める。法令の乱用であり、民主主義への逆行にほかならない。

 ドイツの宰相ビスマルクの言葉とされるものに「政治とは可能性の芸術である」がある。

 辺野古は、本当に「唯一の解決策」なのか。安倍政権は国外・県外移設など、ほかの可能性を追求する努力をどこまでしたのか。県内移設に反対する県民を押しのけて工事を強行するだけなら、もはや政治の名には値しない。




Face.Bookに載せた1,2,3年前の今日の出来事

2015年10月23日

Posted by kyutono9 at 20:56 Comments( 0 )

Face.Bookに載せた1,2,3年前の今日の出来事

              杉浦公昭

2014年10月23の出来事。

 1年の今日、私は「翁長雄志さんを応援する本土の会」呼びかけ世話人をしていました。「沖縄県知事選挙募金」の第一次分は39人分で10万5千円でした。保革を超えたオール沖縄の翁長雄志さんの勝利で、基地のない平和で豊かな沖縄・日本をスタートさせたいと思いますと記されています。
 その後、翁長さんは見事当選し、今や、第三者委員会の検証結果を基に、前知事の辺野古の埋め立て承認に瑕疵(かし)を認め、正式に取り消しを表明しました。私は、翁長さんを応援して良かったと思っています。皆さん、人殺しの準備をする基地を無くす沖縄県民を応援しましょう。


2013年10月23の出来事。

  2年前の今日、埼玉県平和資料館問題で闘っていました。「慰安婦はいたが、従軍慰安婦はいなかった。南京大虐殺は無かった」という上田埼玉県知事。自分の考えと違っているからと、民主的な運営委員会と館長制度をなくすために民間委託にしてしまいました。

 これは、安倍政権が、米国の起こす侵略戦争に加勢できる国にするため、史実に反する歴史認識を国民に押し付けようとする攻撃が背景にあります。大阪国際平和センターにも、全く同様の攻撃がなされています。
 こうした悪政を終わらせるために、野党を団結させ、政権の受け皿を作らせ、選挙協力で、安倍政権を一日も早く終わらせましょう!


二橋 元長

埼玉県平和委員会、速報2720131022日付より

埼玉県平和資料館リニューアル・オープン。
「昭和史年表」が大幅に改ざん
PKOでの自衛隊の展示も


2012年10月23の出来事

 3年前の今日、「オスプレイ配備撤回を求める中央集会」が日比谷野外音楽堂で開かれ、舞台前で、どこかのプレスの依頼で撮ったのがこの写真です。
 沖縄県民代表の玉城義和県議は「県民は日米安保条約が命や安全を脅かしていることを肌で感じている。連帯を強めて大きな平和運動をつくりあげていきましょう」と訴えました。午後7時45分から小雨降る中「オスブレイ配備撤回!普天間基地は、直ちに撤去せよ!基地のない平和な日本をつくろう!沖縄と連帯して安保条約を廃棄させよう!」などとシュプレヒコールしながら国会までデモ行進し、その後、流れ解散となり、午後10時に川越の自宅に帰着しました。
 あれから事態はどれほど改善したでしょうか? 目先は、反って悪化しているようですけれど、闘いは前進し、希望も少しずつ表れ始めています。諦めないで頑張り続けることが最後の勝利をもたらすと信じています。皆さん共に頑張りましょう!

杉浦 公昭さんの写真





「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」とそれへの賛同署名の訴え

2015年10月18日

「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」とそれへの賛同署名の訴え

      http://netsy.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-8d84.html
  ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、送信して下さい。   http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2
  日本科学者会議埼玉支部代表幹事 杉浦公昭
 私の賛同署名のコメント: 私は、主権者の一人として、参議院安保法制特別委員会での議会制民主主義を暴力を用いて破壊した与党の暴挙を絶対に認めません。テレビ中継を視聴して、議会運営規則に則った「採決」や「可決」は全く見られませんでした。直後に報道された速記録からいっても「採決不存在」です。従って、この署名に賛同します。...
 他方、先生から教科書を墨で消すよう言われ、文部省教科書の「新しい憲法のはなし」で学んだ者として、私は、立憲主義、民主主義、平和主義を破壊する「戦争法」には、私の全人生をかけて反対します。戦争法廃止と違憲の集団的自衛権の行使容認撤回を実現するために、全ての野党が思想、信条、政治的立場の違いを超えて「小異を尊重して、大同団結」するよう働きかけて行きます。お互いに頑張りましょう!
「安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」を行った私たち...
netsy.cocolog-nifty.com



「オール沖縄」に学び、「オールジャパン」への結集を!

2015年10月12日

 今日は、私が代表世話人を務めさせて頂いている「I LOVE 憲法川越の会」会報45号の原稿をお送り致します。お時間がありましたらご一読下されば幸いです。

「オール沖縄」に学び、「オールジャパン」への結集を!

     I Love憲法川越の会代表世話人・杉浦公昭

私は、昨年沖縄で行われた名護市長選挙、名護市議会選挙、沖縄県知事選挙、沖縄県議会補欠選挙、さらには衆議院沖縄小選挙区全4区のすべての選挙において、新基地建設に反対する候補者たちが当選したことに、驚くと共に嬉しく思いました。この事態を見て「オール沖縄」を「オール日本」へと発展させたいと思いました。

埼玉県でも、「9条こわすな・戦争させない5・31オール埼玉総行動」には「オール沖縄」に憧れ「オール埼玉」の言葉が入り、10,400人の参加者で成功しました。

5月17日に参加者3万5千人の下に開かれた「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」に参加し、稲嶺進名護市長の「オールジャパンで共鳴がじわじわ広がりつつある」とか、呉屋・金秀グループ会長も「辺野古基金の7割が県外からでオール沖縄の闘いがオールジャパンの闘いに発展している」などの声を聴き、感動しました。

そこで、『オール沖縄』の闘いと、全国の「戦争させない」闘いを結び付け『オール日本』として闘えば、基地のない平和で豊かな日本を築く可能性が開けていると感じました。

即ち憲法9条を守り、平和と民主主義とわが国の真の独立をかけて、思想信条や保革の政治的立場の違いを越え、「小異を尊重して大同団結」すれば、小選挙区制の壁も破り、戦争勢力を政権から追い出すことが可能な情勢を迎えていると考えました。

そこで、私は、国民の皆さんに、憲法を守り、世界の平和、我が国の真の独立、民主主義のために大同団結し、力一杯闘おうと呼びかけました。

この呼びかけを見付けた「連帯・共同21」は、【特集:国民的共同をめざして】に、私の「戦争させない『オール日本』をめざして」を掲載してくれました。

 ( http://rentai21.com/?p=2328 )

8月30日、午前に科学者会議の原発シンポに参加し、午後に埼玉の仲間3人で戦争法阻止、安倍政権打倒の大行動に参加しました。

私達は日比谷公園雷門前で、民主党の菅さん、共産党の小池さん、社民党の瑞穂さんらの話を聞きました。2時と3時に全国一斉のシュプレヒコールを行いながら日本の平和と民主主義の雄叫びを感じて、トコトン闘い抜こうと決意を新たにしました。

国会前では、4野党党首が握手した手を高々と上げ、民衆の繰り返す『今すぐ廃案』のシュプレヒコールに合わせて何度も何度も振り続けました。( http://youtu.be/MxfWG5V7VU0 )

この日の参加者は、国会前に12万人、全国1000カ所で同時集会が持たれ、安保以来の盛り上がりで成功しました。この集会で「野党まとまれ」、「野党ガンバレ」のコールも聞こえました。時代は変わりつつあると感じました。

安倍政権は、国政では戦争法案の違憲性で追い詰められ、沖縄では、辺野古の埋め立て承認取り消しが迫り、同時進行の危険を感じて「集中協議」と言う名の1か月休戦を84日時点で沖縄県に提案していました。狙いが休戦にあったために、8月12日に始まった話し合いは97日平行線で終りました。

すかさず政府は、9月12日、話し合いで停止していた辺野古新基地建設作業を再開しました。翁長沖縄知事も9月14日、第三者委員会の検証結果を基に、前知事の辺野古の埋め立て承認に瑕疵(かし)を認め、約1カ月後の正式に取り消しを表明しました。
 9月18日夜、安倍自公政権は、安保法制委員会で――戦争法の暴力「採決?」をしました。(議事速記録には「議場騒然、聴取不能」のみで採決の動議も、賛否の数も,記録なく、「採決不存在」)。翌日19日未明に本会議を通しました。

 私たちは、空前の規模で広がった国民の運動と、6割を超す「今国会での成立に反対」という国民の世論に背いて、憲法違反の戦争法を強行した安倍自公政権に対して、満身の怒りを込めて抗議します。

その日共産党は『戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府』を呼びかけました。私は、小林節慶大名誉教授と同様に「我が意を得たり」と大歓迎しました。

他方、翁長沖縄県知事は、世界のNGOの配慮を受け、国連人権理事会で9月21日、日本政府から自己決定権を歴史的に蹂躙されてきた経緯を説明しました。

そして今、日米両政府が進めている辺野古の米軍新基地建設反対の沖縄の民意への理解と、新基地建設を推進への批判的な国際世論の喚起を訴えました。

戦後70年、安保改定55年目の今年、私たちは、「憲法、安保、基地」を原点に立ち返って吟味し、日米安保条約を日米平和友好条約に替え、他方、アジアの一員としてアセアンの仲間と連携を強め、国家間の紛争は軍事力によらないで、話し合いで解決する安全保障の外交政策を取るべきと考えます。

国民の皆さん!

戦争法案が強行採決され、戦争へひた走る政権打倒の国民連合政府への結集が呼び掛けられています。オール沖縄の結集に学んで、オール日本の結集で、戦争へ突き進む政権を打倒しようじゃあありませんか?




新閣僚に見る安倍首相の沖縄県民への挑戦!

2015年10月08日

 新閣僚に見る安倍首相の沖縄県民への挑戦!

        杉浦公昭           

 杉浦 公昭さんが宮城 義弘さんの動画をシェアしました。

 安倍氏は、今度の改造内閣の閣僚に、わざわざ沖縄選出の議員を沖縄北方担当相として任命しました。この方は、6年前の参院選が終わった時、「勝因は何ですか」という地元記者の質問に「県外移設を一生懸命訴えたこと」との談話を残した人です。
 その後、県民に何ら相談することもなく県内移設を容認し、国会では沖縄県民に敵対する質問を繰り広げてきた人物です。明らかに公約違反の政治家です。このような人を閣僚の一員にすると言うのは、安倍内閣の沖縄県民の民意に対する重大なに挑戦に外なりません。
 9
24日、沖縄県政与党らでつくる候補者選考委員会が元宜野湾市長であり、前前回の知事戦で惜敗した伊波洋一さんを来夏のオール沖縄の参議院予定候補者に決めた直後であり、自民党は次期予定候補の上記人物に箔を付けたかったに違いありません。
 沖縄県民が油断さえしなければ、県外移設の公約を破り辺野古埋め立てを認めた前知事同様に、県外移設の公約を踏みにじったこの政治家に沖縄県民の怒りの鉄槌が加えられるに違いありません。
 本土の我々も、辺野古への米軍要塞新設と直接連動する戦争法の廃止を勝ち取るためにも、野党を結集させ、オール日本で連帯して闘い抜きましょう。


 https://www.facebook.com/miyagi.yoshihiro1/videos/1648961612059950/




安倍政権は経団連の死の商人と癒着した。

2015年10月07日

Posted by kyutono9 at 20:54 Comments( 0 )

 安倍政権は経団連の死の商人と癒着した。

 杉浦公昭

 経団連は、安保法制」成立を防衛ビジネスのビッグチャンスとして、あからさまな「提言」を用意周到に提出した。経団連は遂に悪魔の

死の商人団体になった。

 儲かりさえすれば、人が死のうと構わないと考えている。

 行きつく先は人類の破滅と地球環境破壊である。

 安倍自公政権はこの悪魔に動され、戦争法を暴力で「採決」して、我々の血税を湯水の如く悪魔に渡し、悪魔から政治資金と言う「賄

賂」を受け取ろうと企んでいる。

  この悪魔に殺されたくなかったら政軍産複合体の番頭政権・自公政権を打倒するしか方法がない。

 皆さん野党を結集させましょう!


  「安保法制」成立は防衛ビジネスのビッグチャンス 経団連のあからさまな「提言」の用意周到

  (J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース

  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150929-00000000-jct-bus_all 




共産党が、思い切った柔軟な政治行動!

2015年10月04日

共産党が、思い切った柔軟な政治行動!

 杉浦公昭

塩野義浩さんのFBによれば、Yahoo!ニュース (2015年10月3日(土)が以下を掲載という。

大阪市長選、共産が自民推薦候補を支援 反維新結集狙う

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  大阪共産党は「あまりにも異質な害悪のある大阪の維新政治を終わりにしていくために、自民党推薦の柳本顕さんを自主的に応援する」と言う。
 今まで日本共産党が政策協定抜きに他党を応援したことを聴いたことがない。
 ここにきて随分思い切った柔軟な政治行動を始めたのは、自公政権が立憲主義を破り、戦争法を暴力で「採決」し、戦争する国にした結果の危機感からと考えられる。
 それだけに、共産党としては、大阪の維新政治打倒と共に「国民連合政権」の樹立と自公政権打倒に本腰を入れている証拠として、大歓迎します。




高橋哲郎氏:私は“侵略に服務した”より

2015年10月03日

 高橋哲郎氏:私は“侵略に服務した”より
     杉浦公昭
 「撫順、太原の会・埼玉」の会の私に友人である近藤さんさんから以下のメールが届きました。
 掲載させて頂きます。どうぞお読み下さい。 草々。

From: Kondoh
Sent: Saturday, October 03, 2015 9:17 AM
To: Kondoh
Subject: 高橋哲郎:“侵略に服務した”
 

 皆様へ、 日中友好と教育の自由のために〈中国通信48〉を送ります。

 重複お許しください。ご意見ご批判をお願いします。転送OK。

 辺見庸《1937 いま記憶の「墓をあばく」ことについて》

           (週刊金曜日2015.10.2)

 「父祖たちはおびただしい数のひとびとを、じつにさまざまなやりかたで殺し、強姦し、略奪し、てっていてきに侮辱した。・・わたしじしんを『1937』という状況(ないしはそれと相似的な風景)に立たせ、おまえならどのようにふるまった(ふるまうことができた)のか、おまえなら果たして殺さなかったのか、・・みなが声をそろえてうたう“あの歌”を、おまえだけがうたわずにいられたか」(原文のまま)

  *辺見氏の思索に共感する。自分もまた銃を持たされるような情況になれば、拒否できないだろうと想像する。それだけに、以下の高橋氏の話をもっともっと聞きたい。どうやって生きる希望を獲得したのか。(近藤)

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镜鉴】侵军战犯:我在抚顺从鬼回了

jingjian pd】中国侵略の戦犯:私は撫順で鬼から人間に戻った

 20150803日来源:人民网-际频原文:国際チャンネル

哲郎向笔者展示珍藏的志《人道与恕》。高橋哲郎が記者に、所蔵の雑誌《人道と寛大》を示す。

1944年底,侵开始节节败退,此前一直推行的“占之后便光、光”的略也为继此,侵军转变,新兵训练结束后,高被安排至道班,发挥其懂中文的特,开展“安”工作。当时戏剧在中国村非常受迎,高把俘中会唱的中国人集中起来成一个50人的京剧团,通的演出解中国老百姓的警戒心,以此取他的配合。

19457月,第五十九师团被派往朝815日,高在朝的一座山上听到日本天皇宣布投降的消息。当他的第一反是“非常高”——束了,可以回日本与家人聚了。

所在的部当年9月投降。高先是被送到西伯利亚过5俘生活,19507月,依据《波茨坦公告》、纽伦堡国际军事法庭、远东军事法庭有关理二战战争罪犯的定和中有关定的条款,中国抚顺战犯管理所开始接收由苏联政府移交的日本犯,高就在其中。

犯非常容易,但改变战犯的思想却是一件非常困的事情,中国做到了。中国对战犯的改造造了一个有的世界奇迹

起那段经历,高十分感慨:“在抚顺战犯管理所,我才得以上人一的生活”,“不可思的是,这样的生活是我经伤害的中国人民予的”。他:“我了温暖的房子,每天可以吃肚子,不用参加劳动,生病了有医生,可以理。尤其令人感的是,当新中国成立不久,非常贫穷,管理我的工作人吃高粱,我们这犯却吃大米。”

在不断地学中,高渐认识到自己作的一,穿着靴、拿着,“在中国的土上服役”一事无法抹煞,所参加的争是侵略争的罪无法改,因此必向中国人民坦道歉。

桥对日本政府的观忧心忡忡。他,当前日中关系的障碍都源自认识问题,即日本政府不正侵略争的事。他返回日本后,一直以自己的经历向日本民众介场战中国来的害。非常憾的是,没有成日本舆论的主流。更令人痛心的是,在日本人在提及那场战,大都认为自己是受害者,各大媒体的论调也都站在。如果日本侵略中国,害了无数中国无辜百姓,就会被扣上“自虐史”的帽子,那是“日本人玷日本人”的行这样的做法非常可悲,也非常可怕。

“我有一个梦想,就是希望日本政府能视过去的侵略与殖民史,实现与中国、国等国家的和解。日本与中国是一衣水的国,如果不构建友好关系的,彼此都以承受。尤其于日本来,从经济、文化,甚至地政治学上来看,如果不正视历史,不求与中国等国搞好关系,日本将没有生存的空。”高桥说(责编:王安琪(实习)、肖)

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(日本語訳の簡約:近藤)

 1944年末、日本軍はしだいに敗退し始め、これまでの殺し尽くし、焼きつくす作戦も続けられなくなった。このため、日本軍は方針転換し新兵訓練後、高橋は報道班に配属され中国語の能力を発揮し“宣撫”工作を開始した。当時、演劇は中国農村で非常に歓迎され、高橋は50人の京劇団を編成した。その演劇を通して中国人の警戒心を和らげ、彼らを騙した。 

 1945年7月、第59師団は朝鮮に派遣された。8・15、高橋は朝鮮の山の上で天皇の投降の情報をきいた。当時の第1印象は“とても喜んだ”-戦争がついに終了した、これで日本に帰れるというものだった。 

 高橋の部隊は9月に投降、5年のシベリア送り、1950年7月、ポツダム宣言》・ニュルンベルク国際軍事法廷・極東軍事法廷により、中国撫順戦犯管理所に送られた。 

  “戦犯を処刑するのは簡単だが、その思想を改変するのは容易ではないが、中国はやり遂げた。中国の戦犯改造は、世界に他にない奇跡である。” 

 高橋はその経歴を振り返って、“撫順戦犯管理所で、人としての生活を得た。”不思議なのは、この生活はかつて危害を加えた中国人民によってもたらされたことである。”という。“温かい家に住み、お腹いっぱい食べ、強制労働はない、医者がいて、散髪もでき、当時中国はとても貧しく管理所の勤務員は高粱を食べ、我々戦犯は、米を食べた。”不断の学習によって、高橋は、次第に、自分が中国侵略の日本軍の1員として、軍靴を履き、銃を持ち、“侵略に服務した”、このことは抹殺できない、侵略戦争に参加した事実は変えられない、従って、中国人民に深く謝罪しなければならない。高橋は、日本政府の歴史観に対して、憂慮に堪えない。 

 日中関係の障碍は歴史認識にあり、即ち、日本政府は侵略戦争の歴史を直視してない。高橋は帰国後、一貫して、身をもって日本の民衆にあの戦争が中国にもたらした被害を紹介した。遺憾なことに、これは日本の世論の主流にはならなかった。さらに心を痛めたのは、現在、日本人は戦争を語る時、多くが自分は被害者で、大手のマスコミもこの立場に立つことである。もし、誰かが、日本は侵略中に無数の無辜の中国人を殺害したと言えば、直ちに“自虐史観の帽子”をかぶせられ、それは日本人をきずつけることだとされる。このようなやり方はとても悲惨で、恐るべきことだ。 

“私にはひとつの夢がある。日本政府が過去の侵略と植民地支配の歴史を直視し、中国・韓国等の国家と和解する。日本と中国は一衣帯水の隣国、もし友好関係を構築できなければ、お互いにとてもやっていけない。特に日本にとって、経済・文化・政治上からみても、歴史を直視しなければ、中国などアジアの隣国とよい関係をつくれず、生きる余地がない。”高橋はこう語る。(編集責任:王安琪(实习)、肖)

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沖縄の二紙は、何故、政府に抗うのか?

2015年10月02日

 沖縄の二紙は、何故政府に抗うのか?

    杉浦公昭

 百田氏は安倍政権の意向を代弁し「沖縄の二つの新聞は潰さなあかん」と攻撃しました。

 2015927日放送のMBS・映像’15「なぜペンをとるのか ~沖縄の新聞記者たち~」 http://www.at-douga.com/?p=14646 を是非視聴して下さい。

 琉球新報の編集委員会の政治部長松永勝利さんは、「我々は基本中の基本、当たり前の作業をしているに過ぎない。沖縄が、全国と同じくらい平和な島になれば、偏向報道などと言われなくなる」と言い、沖縄タイムスの武富和彦編集長も「一方に絶対的な権力者が居り、他方に基本的人権すら守られていない人々が居る場合に、中立は公平とはならない。弱い側の声を多く代弁することこそメディヤの責任と思う」と述べました。

 MBS・映像’15は「沖縄の新聞記者たちは、なぜペンをとるのか?」について1か月琉球新報等を取材した結果を次の様にまとめました。

 「この郷里から、二度と戦争の犠牲者を出してはならない。基地のいらない島を未来に託したい。多くの県民がいだく思いを踏みにじる相手には、どこまでもペンの力で対抗する。沖縄の新聞記者達は書き続けます」と結んだ。