てぃーだブログ › 平和こそ我が命 › ロシアは何故こんな蛮行に出たか?

ロシアは何故こんな蛮行に出たか?

2022年03月09日

Posted by kyutono9 at 15:59 │Comments( 0 )

 ロシアは何故こんな蛮行に出たか?

   杉浦公昭

 2022.3.4 日、「ウクライナへの侵略に抗議する!ロシア軍は直ちに撤退を!」と安保法廃止を求めるオール埼玉の呼びかけで浦和駅前の街宣に参加しました。

私は侵略開始時点から、理想論かも知れませんが、世界の恒久平和は、主に大国による覇権主義を追放しない限り成り立たないと言ってきました。

それにしてもプーチンは何故こんな蛮行に出たのでしょうか? 疑問を持ってきました。

そんな時今朝、Facebookで以下に掲げるような掲示を見つけました。

いろいろ参考になりそうなので私のブログに掲載することにしました。

何かご意見などありましたら返信くだされば幸いです。

 春はそこまで来ていますが、オミクロンの猛威は終わっていません。くれぐれもお体を大切にお暮しください。

伊藤 千尋   今日13時間前  · 

 大国に挟まれた小国の視点に立って

 このところ、ロシアも悪いけれどNATOの拡大策がロシアを刺激したというロシアへの同情あるいは喧嘩両成敗のような論が出ています。ちょっと待って。それは、小国の意志を無視する見方です。旧ソ連だった小国は欧米にそそのかされてNATOに無理やり加盟させられたのではありません。自発的に加入したのです。歴史的にロシアがそうさせたと言っていい。

 わかりやすい例を示します。ソ連崩壊の直前にソ連から独立したバルト3国です。5年前の2017年に現地に飛び、南のリトアニアから中央のラトビアさらに北のエストニアの3国をめぐって当時の事情を調べました。

 この3国は第2次世界大戦が始まった直後の1940年、ソ連に侵略され軍事占領されました。ソ連は侵略行為を理由にこのとき国際連盟から除名されています。侵略に抗議したバルト3国の市民5万人が逮捕され、シベリアに送られました。

 そこへナチスが侵入しました。ナチスは3国の人々をナチスに編入してソ連軍と戦わせました。さらに領土をドイツに組み入れました。独立を主張するバルトの市民は強制収容所行きです。

 1944年には、勢いを盛り返したソ連がやってきました。ソ連はバルトの市民をソ連軍に編入してナチスとの戦いの最前線にやりました。文字通り大国に翻弄されたバルト3国は、人口の5分の1がこの時期に減っています。

 第2次大戦が終わると大国の取引の中でバルト3国はソ連に組み入れられました。そしてエストニアとラトビアの東部はロシアの領土とされたのです。奪われた地は国土の1割近くです。日本で言えば北海道がそっくりソ連領になったようなものです。

 さらにバルト3国にロシア人が50万人も移住してきました。今もラトビアの人口の33%がロシア人です。首都リガではロシア人が人口の過半数を占めます。数にものを言わせ、市長もロシア系です。

 こうした中で2004年、バルト3国は欧州連合(EU)に加盟し、NATOに入ったのです。放っておいたら国内のロシア人が独立を宣言して、その要請によってロシア軍が「平和維持軍」の名目で侵入してくることが十分にありえたからです。現実に今、ウクライナがそうなっています。

 現地の状況や歴史を知らないでいると、私たちはつい大国の動きだけに目を奪われがちです。しかし、その間には小国なりとも人が住んでいるのです。彼らはなんとかして安全な生活を維持しようとします。その結果が、過去も現在も続くロシアの脅威への対抗手段としてNATO加盟を選ぶという結果になったのです。敢えて言うなら、歴史的なロシアの抑圧が彼らをNATO側に追いやったとも言えるでしょう。

 それがロシアとNATOの対立を強め、今回のようなことになるかもしれないという憶測は当時からありました。だからこそ同じような立場でもっと大きな国であるスウェーデンとフィンランドはNATOへの加盟を自主的に控えてきたのです。しかし、この2カ国も今回のロシアの侵略を見て、NATO加盟を検討しています。

 ロシア擁護論として、NATOが国境近くまで来たらロシアは脅威に感じると言いますが、ロシアに隣接した小国はロシアの脅威を感じるどころかロシアにさんざん抑圧されてきたのですよ。大国に同情する前に、大国に抑圧されてきた人々の立場、視点を考えてほしいと思います。

 とはいえ、こんな「力の対決」の論理に組み込まれてしまったら世界は完全に2分し、最後は核戦争に結びついてしまいます。あるいは超大国アメリカの支配に陥ってしまいます。では、どうしたらいいのか。そこにもバルト3国の例が参考になります。そして、今こそ日本の9条が世界に羽ばたくときです。

 長くなったので別に書きます。

 画像はソ連末期の1989年、バルト3国の市民200万人が3国の首都を結ぶ600キロを「人間の鎖」でつないだ歴史的な様子を記念切手にしたものです。これが平和なうちに独立を勝ち取る手段となりました。





 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。