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   戦争する国造り」反対の最前線ーー辺野古新基地建設への非暴力抵抗と名護市長選挙

       杉浦公昭

  キーワード:座り込み、非暴力抵抗、名護市長選、オール沖縄、戦争政策阻止 

1.はじめに

私は、国民学校4年生で敗戦を迎え、戦後、食糧不足で死ぬ思いをし、校庭でサツマイモを作り、「例え貧しくても戦争さえしなければ、楽しく生きられる」ことを学びました。その頃、全教科書の兵隊や戦争や神様の話を墨で消させられ、代わりの歴史の教科書の「国のあゆみ」には神様が居なくなり、土器や古墳が有りました。 新制中学1年のとき文部省教科書の「あたらしい憲法のはなし」を学びました。主権在民、象徴天皇、基本的人権の保障、男女平等など民主主義の原則を徹底させ、労働三権の保障や国民の生存権の規定などを謳い、中でも戦争の放棄と戦力の不保持とを規定したことは、世界にも例のない理想を明らかにしたものでした。 高校1年の時、文部省教科書の「民主主義上・下」を学び、民主主義の根本の原理は、人間を個人として尊重するということであると学びました。

安倍政権は、集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、共謀罪法、安保法制(戦争法)等を強行採決し、立憲主義を破壊して、憲法九条3項に自衛隊を謳うことで、2項の国の戦力の不保持と交戦権の否認を否定し、結果として1項の戦争放棄も否定して、戦争できる戦前形の国にしようとしています。

安倍政権は、沖縄名護市の辺野古の海を埋め立てて、一大軍事要塞を新設しつつあります。2,0132月、仲井真知事は、国の評価書の環境保全措置では404件にも及ぶ問題点が有るので辺野古周辺地域の「生活および自然環境の保全を図ることは不可能」との意見を国に提出しながら、12月末には基地交付金に目が暗み米軍普天間基地の県外移設の公約を破って辺野古の海の埋立てを承認しました。

知事の海埋め立て承認を得た安倍政権は、非暴力で「人殺しの基地を作るな」と座り込む沖縄戦下をくぐったお爺、お婆ら住民を、警察権力を使って暴力的に排除し海の埋立てを強行しています。

沖縄県民は民意を結集して「オスプレイの配備撤回」「米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設の断念」等の「建白書」を作り「オール沖縄」として翁長知事を誕生させ地方自治を守れと闘っています。

私は、2007年以来、辺野古や高江で、人々の命と健康を守るために、毎年、春秋各一週間ずつ米軍新基地建設反対の座込みに参加し「米軍再編強化のための辺野古の環境アセスメント」を研究し、意見書を書き、環境保護のために闘ってきました。

今や、辺野古新基地建設は、安倍政権の「戦争する国造り」政策の最前線であり、これへの非暴力抵抗は、平和を願う私にとって命がけで闘うにふさわしい一つの戦場でもあります。
  
2.方法A稲嶺名護市長候補を応援して

基地新設反対を公約する稲嶺市長候補を何としても当選させようと、カンパを62人から32万円集めました。元旦に知人友人宛てに「渾身の力で、稲嶺市長候補を応援しよう!」と呼びかけ、日時変更不可の120日の飛行機の切符を購入していました。ところが、116日、腰痛をぶり返し、起床困難になりました。座って居れば痛みは無いので、稲嶺ススム必勝のために、這ってでも市長候補を応援したいと、無理を承知で杖を頼りに出発しました。

那覇で1泊、21日朝、何とか起きられたので高速バスで名護まで行き、新基地建設反対名護共同センターで、「ひめゆりたちの沖縄戦」100冊寄贈の領収書を頂きました。そこで、選挙期間中は辺野古の座込みが手薄になると聞き、これに加わることにして、辺野古の格安の民宿・稲葉さん宅へ送ってもらいました。途中、稲嶺ススム選挙事務所で後援会長にカンパを渡し、大変喜ばれ「支援者の皆さんに宜しく伝えて欲しい」と言われました。

翌22日朝、宿泊者は米軍基地のゲート前まで歩いて座り込み、9時、12時、3時のトラック軍団を迎え、沖縄県警にゴボウ抜きで排除されます。私は、傘を差し、杖を頼りに他の人の3~4倍の時間をかけてゲート前にたどり着き、枯れ木も山の賑わいと簡易椅子に座って拡声器に負けない程の生の声で「海を壊すな!」「違法埋め立てはやめろ!」「警察は暴力を揮うな!」と叫び続けました。

23日は晴で腰の痛み少なく、夜には、稲嶺ススム総決起集会が開かれ、宿泊者全員参加しました。

稲嶺候補の挨拶【私の市政は、28年、子供たちが健やかで安心、安全の環境で成長できる子育て施策を中心に行ってきました。今、私たちの「相手」は日本政府です。危険な基地を押付ける政府の言いなりになる市政を許してはいけません。辺野古の海に新基地は造らせない。名護の市政は名護市民で創って行きましょう(大きな拍手)】。参加者は3850人とのことでした。

24日、午前9時、仲間達が石材満載のダンプやセメントミキサー車等数十台に埋めたて中止要望ビラと稲嶺応援ビラを撒くのを、大声で「稲嶺必勝!」「違法埋め立てやめろ!」と声援しましました。

昼休みにガム島の原住民が「米軍基地被害に会い、辺野古と連帯したい」と訴えました。「人殺しの練習場の基地は県外、国外移設ではなく、無くすこと」が重要と再確認しました。

25日、テントで雨宿りしながら、文子オバーと沖縄戦とか非暴力の座り込み等いろいろ話し合いました。別れ際に、「お互いに命ある限り平和のために闘い続けましょう」と握手して別れました。

26日、宿泊者全員の連帯の握手を受け、75分の路線バスに乗り、「不屈館」に立ち寄り学習し、その日は疲れて着替えず寝ました。27日帰宅、稲嶺終盤支援にと訪沖報告を友人達に急報しました。


2.方法B『連続6日間500人集中行動』に参加して


423日から28日まで、沖縄の辺野古の米軍基地前で500人規模の集会が呼びかけられました。私は、腰痛が酷く、歩くのも困難でしたが、杖を頼りに19日から25日まで参加しました。

19日は那覇で1泊、20日朝、沖縄県庁前から平和センターのバスで辺野古の米軍基地ゲート前に行き、座り込みに参加しました。その夜は民宿・稲葉宅に泊まりました。夜は宿泊者達で懇談をしました。

21日午前8時から座込みに加わり、埼玉からの参加者として挨拶をしました。安保闘争で社会運動に目覚め、沖縄返還運動を闘いました。「沖縄を返せ」と「故郷」の辺野古替歌を歌い拍手を受けました。

22日は、日曜休みで、1日休養しました。23日午前10時、いよいよ「500人集中行動が」始まりました。私は腰痛で、ごぼう抜きには耐えられないので、ゲイトの向かい側で簡易椅子に座り、「違法な埋めたて止めろ!」、「県警は暴力を揮うな!」と大声で叫び続けました。海埋め立て用石材ダンプを止めようと座り込む700人の市民とそれを暴力的に強制排除する200人程の県警機動隊員が衝突し、午後3時半まで、もみ合いが続きました。この間ダンプは1台も通さず、その日は123台、通常の1/3が通過。

24日午前7時頃から機動隊が、県民の集まる場所を無くすそうと、大きな車両を工事用ゲート前に置きました。機動隊員も昨日の2倍ほど動員されていました。排除行動も昨日よりもさらに手荒で、意地でも工事車両を通そうと機動隊も必死でした。それでも市民680人が国道にはみ出させられながら2時間ほど阻止しました。驚いたことに障害者が全国から5組参加していました。

25日午前8時、機動隊が歩道を奪い、機動隊のバスが道路駐車してはみ出し、住民は余儀なく車道での座り込みをさせられ抗議の声を上げています。他方警察は、拡声器で「車道で座り込む行為は道路交通法に違反します」と脅す始末です。ロックバンド「新月灯花」の女性らも座り込み、昼食時にロックを演奏してくれました。他方この日は、海上大行動。抗議船7隻、カヌーは83艇。カヌーはオイルフェンスを乗り越え、海上保安官に拘束されてもなお、「違法工事をやめろ」と抗議の声を上げ続けています。丁度本部港から石材を運んできた台船が入ってくるため、大浦湾側ではものものしい警備態勢が取られていました。


.結果と考察


新基地建設を最大の争点に闘われた名護市長選挙は、稲嶺氏が敗けました。今回の選挙は、安倍政権による新基地押し付けに対して、「基地は作らせない」と日米政府に対峙して頑張ってきた稲嶺市政の継続で、アメリカと安倍内閣の暴走に止めようとするものでした。同時に、子どもたちの未来のため、名護市の将来のために、基地振興助成金に頼らないで、二期8年間に、市の予算は287億円から382億円に増やした実績に見られるように、自分たちの街は自分たちの努力で良くしていくという自主的な精神とその誇りを発展させようとするものでした。今回の選挙で、相手候補は、政府から丸抱えの支援を受け、公明党とは前回の自主投票から、今回は、米海兵隊の県外国外移転を協定し推薦を受けました。その上、新基地建設については全く触れない争点はずしを行いながら、「基地振興助成金は受け取る」と公言し、市民が基地建設賛否の市民投票や選挙の繰り返しに疲れていることや、当面の生活の苦しさから逃れたい弱い気持ちを持っていることに付け入る戦術を取りました。しかし、出口調査では新基地建設反対が過半数を超えており、問題は決着していません。相手側の決定的成功は、自民党の中小企業への経済的甘い言葉により、会社ぐるみで社員を期日前投票に動員させたことにあります。

私は、「沖縄の米軍基地の問題は、わが国の平和と民主主義と真の独立にかかわる問題であり、この闘いは、我が国の将来を決すると考え、何としても稲嶺さんを勝たせたい!」と駆けつけました。従って選挙結果は残念至極です。しかしながら、こうした支援を通じて沖縄と本土の間で、連帯の経験が蓄積され、私自身は肉体の限界への挑戦で、ウチナンチュウのチム()心に近づけたとの自信を得ました。


 4.まとめ


我が国は、米国従属国から自主独立国になるため、日米軍事同盟を止め、平和的な日米友好条約に切替える必要があります。隣国の南北首脳会談が進み、今年中に停戦協定が平和協定に替えられます。すると、沖縄の米軍基地は建前上無用になります。沖縄の人々は「勝つ方法は諦めないこと」と言います。夏の名護市議選、秋の沖縄知事選を、自公政権の戦争政策阻止の闘いと位置づけ、共に闘いましょう!






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