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シロタさんの遺志も「世界で一番の憲法を守って!」
 
元旦の時事通信の報道によれば、第2次大戦後、日本国憲法の男女平等に関する条項を起草したことで知られる米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんが12月30日、膵臓(すいぞう)がんのためニューヨークの自宅で死去されたそうです。31日関係者が、明らかにしました。享年89歳でした。シロタさんの遺志も「世界で一番の憲法を守って!」

 シロタさんは22歳の時、連合国軍総司令部(GHQ)のスタッフとして憲法案起草に従事しました。(写真参照)
 両性の平等を規定した24条など、人権に関わる条項を担当したほか、草案の翻訳作業にも通訳として加わりました。

 1923年、オーストリア生まれ。著名なピアニストだった父レオ・シロタさんが当時の東京音楽学校(現東京芸術大学)で教職に就いたため、5歳から15歳半ばまで戦前の日本で暮らしていました。
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 この少女時代に流暢な日本語を覚え、軽い沢の別荘で仲居さんから「父親が反対したら、好きな人とも結婚できない。自分から夫に離婚を申し出ることもできない。貧しい農家では、家族のために少女が身を売っている…。」など「家長制度」に縛られた日本女性のつらい話を聞いていました。

 15歳半ばで米国へ留学したシロタさんは、太平洋戦争のため日本の家族と生き別れとなり、戦後、一刻も早く家族の安否をしるため、22歳のベアテさんは進駐軍に加わって来日し、幸い家族と再会できました。

 日本では、連合国軍総司令部(GHQ)民政局に設置された憲法草案制定会議の唯一の女性スタッフとしてかかわり、日本の新憲法の人権に関する条項の起草をまかされました。

 そこで、戦前、少女時代に知った「家長制度」に縛られた日本の女性にもいろんな権利を与えたいと考え、世界で一番進んだ条文にしようと焼け跡の東京の図書館を回り、各国の憲法を探し出し比較研究しました。

 折角、比較研究した長文も、上司のケーディスから「基本的な男女平等はいいが、社会福祉は憲法に合わない、そうゆうものは、民法に書かなければいけない」と削られました。

 その男女平等は日本側が最初「日本の歴史、文化に合わない。憲法には入れられない」と言ったので、激しい議論になりそうでした。しかし、「女性の権利は、このシロタさんが書きました。通しましょう」と上司が紹介したのに驚いた日本側は、「輔弼」など難しい日本語の通訳や日本の習慣の理解者として日本側の見解を擁護したこと等で好感を持っていたため認めました。その結果「個人の尊厳と両性の平等を定めた」24条として結実しました。

 2000年5月に参院憲法調査会に招かれ、意見陳述した際、長く沈黙を守った理由を「憲法を改正したい人たちが私の若さを盾にとって改正を進めることを恐れていた」と語っていました。
シロタさんの遺志も「世界で一番の憲法を守って!」 だれが起草しようとも、24条はすでに普遍的な理念として、私たちの中でしっかりと息づいています。                             シロタさんは、憲法9条も世界の誇りとみなしていました。人類の理想をまとめあげた9条です。「占領軍のおしつけ」とののしる人々など、彼女にはけちくさい考えの持ち主に見えたに違いありません。

ベアテ・シロタ・ゴードンさん=2010年5月、ロサンゼルス 
 
                
 シロタさん亡き後、遺族は、彼女への献花より日本の九条の会への寄付を呼びかけています。故人の遺志も、平和の守り手の人々に、もろ手を挙げての「賛成」だったでしょう。憲法を変えるという安倍政権ができても、52%の国民は9条の改定に反対しています(毎日新聞調べ)。日本人の多くは、誇りを捨てていません。

 年頭に当たり,人類の生存がかかった暴力否定の日本国憲法9条守り、全世界に広げることを誓って、シロタさんら諸先輩の英知に報いたいと思います。 




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