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 米核戦略の悪魔性を隠す「原子力の平和利用」宣伝.
       杉浦公昭 (2011.8.15 記す)

 原発は戦争と結びついて開発された歴史を持っています。 
 原子力は1945年に爆弾として使用されたばかりでなく、酸素無しにエネルギーが得られる特長を生かして1954年に潜水艦の動力に使われたからです (第一号の名はノーチラス号) 。
 もともと戦争のために作られたのですから、乗組員の安全などは二の次、三の次でした。

 1953年、米大統領アイゼンハワーは国連で「Atoms for Peace」(平和のための原子力)を演説し、世界は愚かにも歓迎しました。
 そのねらいは、核保有国の米国が世界から嫌われないようにすると同時に、軍需生産で過剰になった濃縮ウランを原子力発電として自国で消費すると共に、他国にも安価に売り、その国に核開発をさせないようにしながら、自国の軍事工場を操業短縮しないで済むようにする核独占政策にありました。

 こうした核戦略の下に米国諜報機関CIAのスパイとなった暗号名ボダムこと正力松太郎読売新聞社主と同じくCIAとエイジェント契約したと言われる中曽根康弘氏が結託し、米政府の意向にそって日本への原発導入を画策し始めました。

 中曽根氏ら保守党議員が1954年3月の国会に原子力研究開発予算を提出し通過させたのが日本における原発の始まりです。

 中曽根氏は原発使用後の廃棄物からプルトニウムを取り出せば、簡単に長崎型の原爆ができると日本の核武装化も狙っていました。

 一方、1954年3月以後に日本国内ではアメリカのビギニ水爆実験で被曝した第五福竜丸や原爆マグロ事件で原水爆禁止運動が盛り上がり、米軍基地への核配備の障害になっていました。

 この障害除去に米核戦略の「原子力の平和利用」という名の対日原子力技術協力が役立ったことは国際問題研究者の新原昭治氏が米解禁文書を解読して明らかにしました。

 核戦略は「自分の利益のためには、核で人を殺しても構わない」と考える悪魔の心で成り立っています。人類とは共存できない考え方です。

 核兵器という暴力を肯定し、相手の国を脅し、自らの安全を守ろうとする核抑止力という考え方も、相手国も核兵器を持つことになり、人類が滅亡する考え方です。

 「ノーモア広島!、ノーモア長崎!、ノーモア被曝者!」は人類が生き残るための叫びです。
 核兵器廃絶・脱原発の声を世界の隅々まで広げましょう!       





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