てぃーだブログ › 平和こそ我が命 › 核からの離脱 › 「原発なくせ!」首都東京に17万人集う

自らの存在をかけて闘わなければ、生き延びられない

716日東京・代々木公園で行われた脱原発を求め、再稼働を進める政府に抗議する「さようなら原発10万人集会」に行ってきました。

16日は疲れていて頭も朦朧としていましたので、各演者の講演内容を正確には伝えられませんでしたが、今朝二紙の新聞を見て若干修正しましたので、修正版を掲示して置きます。

 

埼玉県の東上線川越駅で落ち合った「さようなら原発川越の会」30人と川越革新懇(人数不詳)938分発の渋谷行きに乗り、約1時間後に明治神宮前で降り一会場に向かいました。

 

この時点で『会』ののぼりを見失わないよう進まないと迷子になる程、既に会場入口は可なり混雑していました。
それでも会場中心は空いていて青いビニールシートの上に座れたけれど、比較的高年齢の人が多かったので、熱射病を恐れて会場裏手の欅の木陰に陣取り座りました。

 

ステージの演者の顔こそ見られませんが、声は良く聞こえ、そよぐ風に涼を取りながら話をじっくり聞くことが出来ました。

 

ルポライターの鎌田慧さんはまだまだ会場に向かっている人がひしめいている「大成功です」と語り、会場を沸かせました。そして、「今日は沢山集まったけれど、まだまだ此の程度では全国の原発を停止しに追い込むことは困難、9月か10月頃、脱原発集会を企画し、まだまだやりましょう」と呼びかけました。

 

ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんは「原発の廃炉などを求める署名を国会に出した翌日、政府は大飯原発の再稼働を発表しした」と批判しました。

 

また、経済評論家の内橋克人さんは「あふれ出る参加者の勇気ある『さようなら原発』の声が、歪んだ社会をただす最も大きな確かな力になっていくでしょう。責任の取りようもない人の命がかかっている「再稼働」を「私の責任で再稼働します」と言う傲慢さを許してはなりません」と政治への不信をあらわにして「福島の悲劇から学ぼうとしない政治家を二度と国会に送らないようにしましょう」」と訴えました。

 

作家の落合恵子さんは「野田政権が国民と言うとき、一体だれを見ているのか? ここに居る人が国民、市民」と述べ、「民主党が国民の生活重視を訴えて政権を獲得したにもかかわらず『命より原発を選んだ』」と痛烈に批判し、「命と金の二者択一を迫られていることに気付いた皆さんは、命が守られる国になるまで、自らの存在をかけて闘い続けなければならない、止める事の出来ない課題である事をお分かりと思います」との趣旨の話があり、私は、ハッとしました。

音楽家の坂本龍一さんは「42年前、18歳だった私は、日米安保改正反対でこの公園に居ました。今日は官邸前での抗議と同じように多くの市民が来ていらっしゃると思います。僕も一市民として来ました。こうやって市民が声を上げているということは、とても感無量です。電気のために、子どもの命を危険にさらすようなことはすべきではありません。お金より命です。『福島の後に沈黙するのは野蛮だ』、というのが私の信条です」と述べました。

 

尼さんで作家の瀬戸内寂静さんは「付き添いの人の制止を振り切って参加してきました。こんなに沢山の人に会えてうれしいです。5月で90歳になりました。100年前、自由を奪われた時代がありました。過去の人たちが苦労して、自由を守ったから今日があるのだと思います。いま、原発を止める、政府の方向を変えることになるか、わかりません。それでも集まらなければなりません。たとえ相手が効かなくても言い続けましょう」と呼びかけました。

 

 途中、実行委員会から「17万人が参加しています」とのアナウンスがあり、大きな拍手が長く続きました。


 脱原発の評論家の広瀬隆さんは、「先日の首相官邸前に続いて、本日も俳優の山本太郎さんの解説付きでヘリコプターを飛ばしているので上空から空撮してくれているものと思います」と紹介されました。
 http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=v8UVfC06f7A

 午後1時半からは3つのコースに分かれ、私たち埼玉勢は、新宿コースで「原発いらない」「再稼働反対」などと訴えて明治公園まで行き、流れ解散し、
 http://mainichi.jp/graph/2012/07/17/20120717k0000m040035000c/image/001.jpg

 そこで、
しんぶん赤旗の号外をもらって、千駄ヶ谷の駅から帰宅の途につきました。




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